2020年 NBA Draft候補 ラメロ・ボール
2020年NBA Draft上位候補のラメロ・ボールについてディグっていきます
ラメロ・ボール(Lamelo LaFrance Ball)は2001年8月22日にラバー・ボールとティナ・ボールとの間に誕生します。
元バスケットボール選手であった父親ラバー・ボールの影響から歩けるようになった頃にはバスケットボールに触れていたそうです。
ラメロ・ボールは2人の兄と共にバスケットボール選手としての才能を幼少期から発揮していきます。(1番目のロンゾ・ボールは現役のNBA選手、2番目のリアンジェロ・ボールはNBAの下部組織Gリーグの選手)
高校時代
ラメロの高校でのキャリアは地元のカリフォルニア州チノヒルズにあるChino Hills High Schoolでスタートします。
高校での最初の試合では27得点を記録し、その後も活躍を続け、高校での最初のシーズンは2人兄と共に35勝0敗という記録を残します。
高校2年目のシーズンは初めてチームが敗北をします。(1番上のロンゾ・ボールが大学進学のため抜けたのは大きかったかもしれませんが、それまで負けてなかったのが凄いですよね)
高校3年目を迎える前に転機が訪れます。2番目のリアンジェロ・ボールが大学に進学し、中国遠征の際に、盗みを働き、無期限の出場停止処分となり、その後大学を退学しました。
リアンジェロはバスケの場を求めて、ラメロと共にリトアニアのプロリーグに挑戦することになります。
4ヶ月ほどするとリトアニアのプロリーグから撤退することになるのですが、ラメロのリトアニアでの成績を見ると、まだ高校生ということもあって、活躍したと言えるような結果ではなかったです。
リトアニアからの撤退後は父親であるラバー・ボールが立ち上げたJBA(Junior Basketball Association)に参加します。
JBAはNBAを目指す若手選手にプロへのルートを作るために立ち上げた団体みたいです。(現在NBAは高校卒業後1年はあけないと入れなく、大学進学後にNBAに入るというのが定番となっています。)
JBAでも活躍をしたラメロですが、高校最後の年に活動の場を高校バスケに戻すことになります。
高校4年目は以前所属していたChino Hillsではなく、SPIRE Instituteに所属します。
SPIREでも活躍を見せ、SPIREが所属しているリーグの年間MVPを受賞します。
高校卒業後
高校卒業後は大学へ進学せず、オーストラリアとニュージーランドのプロリーグ(NBL)へ挑戦します。この年のNBLにはラメロと同年代でアメリカでトップクラスの評価を得ていたR・J・ハンプトンも挑戦しています。
先述しましたが、NBAへは大学進学後に入るのが定番となっていて、評価がトップクラスの人、所謂エリートは大学で1年過ごした後にNBA入るというのが定番となっています。
そんな中、トップクラス2人が大学に進学しなかったことはアメリカで話題になったに違いありません。
NBAに入る準備をするため、シーズン途中で離脱することになりますが、NBLでも活躍を続け、NBL史上最年少でのトリプルダブル(得点、アシスト、リバウンド、スティール等のうち3つの項目で2ケタ以上記録すること)を記録します。
ラメロのキャリアを見ると、紆余曲折感が凄いですよね
来月にNBA Draftが開催されるので、ラメロがどのチームに指名されるか楽しみにしながら、待ちたいと思います!